初めて一人旅行に行きました
年末年始の休みに島根県の出雲に行ってきました。初めて一人旅行しました。
父親が昨年の10月に亡くなり、手続きなど少し落ち着いたころ、ふと出雲に行ってみようかなと思いました。
以前に職場で私より年下の女の子が東北に一人旅行に行っていて、
一人で旅行かぁ、、私もいつか一回くらいは一人で行ってみようかなと思っていました。そして出雲は行ってみたいな、、とぼんやり思っていました。今まで旅行は友達としか行ったことがなく、一人で行く勇気が出ず、何となく月日が経っていました。
父親が亡くなってふと本気で行ってみようかなと思い始めました。それから職場の人や友達に一人旅行のことを話しました。
私は心の中で決意してすぐ実行することも多々ありますが、人に言うときもあります。人に話すと、言った手前本当に実行しなければいけない状況になります。そうして決意が固まって実行に移せます。
してもいいししなくてもいいし、でも自分ではちょっとしてみたいけど中々腰が上がらない、というようなことを人に話しているかもしれません。
さんざん調べて、結局飛行機とホテルのセットで行くことにしました。
出雲へは寝台列車の『サンライズ出雲』や、新幹線で岡山まで行って、そこから在来線の『やくも』でいく方法があります。今回はサンライズ出雲は大人気で中々チケットがとれないのと、新幹線は7時間くらいかかるので、陸移動は辞めて、飛行機にしました。
両親が亡くなって考えること
だいぶ間が空いてしまいました。久しぶりに投稿します。
昨年の10月に父親が亡くなりました。
3年前に母親が亡くなり、父親はグループホームに入りました。3年経ちましたが他の人に比べて認知症の進行が早く、父親に会いにいくと、毎回症状の進み具合にこちらの心境がついていかないという3年間でした。
亡くなるときも、つい2週間くらい前まで安定していたのに、容体が変わり、そこから数日後に亡くなりました。
この間まで元気だったのに、、という思いと、心のどこかでは来るときがきたなという思いもあります。最後にきちんとお別れを言えたので、それはよかったなと思っています。
家の相続などもあり今も手続きの途中です。全て終わるには半年くらいかかるそうです。
祖父母と暮らしたことがなく、身内が亡くなる経験がありませんでした。物心ついたころには母方の祖父しかいませんでした。祖父が亡くなったときに、お葬式には出ましたが、実感というものはなかったように思います。3年前に母親が亡くなったときが人生で初めてといっていい身内が亡くなった経験でした。
母親が亡くなって初めて死を考えるようになりました。
人は死ぬんだな。私も死ぬときが必ずくるんだ。
人間は ”生まれて死ぬ” ということを頭では分かっているつもりでしたが、本当には分かっていなかったと思います。
人は生きてきたように死ぬそうです。
その人の『生き方=死に方』になるそうです。
母親がまさにそうでした。生きてきたように死んでいったなと思います。母親、父親が亡くなるのをみて、私も自分の死に方を考えるようになりました。
穏やかに、気持ちよく眠るように、大満足して死にたいと思っています。そのためには今からどう生きていけばよいか、、
死を考えることは生きることを考えること
世の中では死をやたら忌み嫌いますが、死を考えることは生を考えることだと思います。どう生きていくか、、人生は有限だということを、両親の死によって、本当の意味で理解することができたように思います。
今は身内が亡くなる様やお葬式などを子供に見させない親がいるそうです。
”生きるも日常、死ぬるも日常”
身内が亡くなるのを家族全員で見届けることはとても大切なことだと思います。子供なりに肌で感じ、考えると思います。それが教育ではないだろうか。学校以外で人として学ぶことができる教育だと思います。経験するべきとても大切なことではないかと思います。
課題の分離
こんにちは
接骨院に週一で通い、一年通い続けました。
そして毎週週末に喫茶店に行き、本を読みながらノートに書き留め、
先生の言ったことと、本で読んだことを翌週から日常で実践しました。少しづつですが、思っていることを言えるようになっていきました。
自分は今こう思っている、、ということを自分で認識することすら、前の私にはできていなかったと思います。
人の顔色ばかりを気にして、自分が思っていることすら自分で分からない…
今はやっと自分の気持ちに的を当てられるようになりました。
そうすると嫌なことは嫌だと少しづつ伝えられるようになってきたのです。
今まで苦手な人がいると、避けよう、関わらないようにしよう、としかしませんでした。それは嫌なことは嫌だとはっきり断れないために、めんどくさいことになるのが嫌で、最初から関わらないようにしようと避けていたのだと思います。
人にどう思われるかばかり気にして、自分にしかベクトルが向いていなかったものが、相手にどう思われるかではなく、自分がどうしたいのか、ということを考えられるようになってきたと思います。
この頃、アドラーの『嫌われる勇気』を読みました。
その中で、課題の分離という考え方がでてきます。これを読んだとき私にとってはものすごい気づきになりました。
これを言ったら相手はどう思うだろう、、
言いづらいと思うことならなおさら相手がどう思うのか、ということばかり考えがちになります。
課題の分離は
”私の気持ちや言うべきことを相手に伝えたら、
そこから先は相手が考えて判断することであり、私が考えることではない”
というものです。これはどんな状況にも当てはまることだと思いました。
自分はどう思っているのか、自分はどうしたいのか、を考えられるようになってくると、積極的に人に働きかけることができるようになってきたと思います。