スピリチュアルに生きる

スピリチュアリズムを実感して実践したい

両親が亡くなって考えること

だいぶ間が空いてしまいました。久しぶりに投稿します。

 

昨年の10月に父親が亡くなりました。

3年前に母親が亡くなり、父親はグループホームに入りました。3年経ちましたが他の人に比べて認知症の進行が早く、父親に会いにいくと、毎回症状の進み具合にこちらの心境がついていかないという3年間でした。

亡くなるときも、つい2週間くらい前まで安定していたのに、容体が変わり、そこから数日後に亡くなりました。

この間まで元気だったのに、、という思いと、心のどこかでは来るときがきたなという思いもあります。最後にきちんとお別れを言えたので、それはよかったなと思っています。

家の相続などもあり今も手続きの途中です。全て終わるには半年くらいかかるそうです。

 

祖父母と暮らしたことがなく、身内が亡くなる経験がありませんでした。物心ついたころには母方の祖父しかいませんでした。祖父が亡くなったときに、お葬式には出ましたが、実感というものはなかったように思います。3年前に母親が亡くなったときが人生で初めてといっていい身内が亡くなった経験でした。

 

母親が亡くなって初めて死を考えるようになりました。

人は死ぬんだな。私も死ぬときが必ずくるんだ。

人間は ”生まれて死ぬ” ということを頭では分かっているつもりでしたが、本当には分かっていなかったと思います。

 

人は生きてきたように死ぬそうです。

その人の『生き方=死に方』になるそうです。

母親がまさにそうでした。生きてきたように死んでいったなと思います。母親、父親が亡くなるのをみて、私も自分の死に方を考えるようになりました。

 

穏やかに、気持ちよく眠るように、大満足して死にたいと思っています。そのためには今からどう生きていけばよいか、、

 

死を考えることは生きることを考えること

 

世の中では死をやたら忌み嫌いますが、死を考えることは生を考えることだと思います。どう生きていくか、、人生は有限だということを、両親の死によって、本当の意味で理解することができたように思います。

 

今は身内が亡くなる様やお葬式などを子供に見させない親がいるそうです。

 

”生きるも日常、死ぬるも日常”

 

身内が亡くなるのを家族全員で見届けることはとても大切なことだと思います。子供なりに肌で感じ、考えると思います。それが教育ではないだろうか。学校以外で人として学ぶことができる教育だと思います。経験するべきとても大切なことではないかと思います。